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史跡は身近にあるもんだ

お久しぶりです。
営業 佐藤です。

今回は、私が担当している甲府の「法泉寺」にある、武田家のお墓を紹介します。

法泉寺ご案内
法泉寺ホームページはこちら

法泉寺は甲府五山に数えられています。
きれいな桜の季節に撮った写真です。
法泉寺 桜
甲府五山については、今回深く触れませんが、コチラを参照ください。

その法泉寺には
武田 信武公武田 勝頼公 の廟所があります。

法泉寺本堂 武田信武公・武田勝頼公廟所案内看板
武田信武・武田勝頼説明看板(甲府市教育委員会)

武田信武公とは?

武田氏といえば戦国時代の信虎、信玄、勝頼3代があまりにも有名なため、日が当たることの少ないのですが、南北朝・室町時代の有力武将です。
法泉寺公式ホームページに紹介がありますので、引用して紹介させていただきます。

信武公は武田家第六代の武田信宗の嫡男として1303年頃に生まれたと考えられています。
剛胆かつ思慮深く、武略だけでなく治政にも秀でていました。また、禅宗を篤く敬い、夢窓国師及びその高弟月舟禅師に深く帰依しました。元徳2(1330)年、父信宗が没すると、その菩提所を開基することを決意し、月舟禅師の指導の下に伽藍を造営しました。これが当山の始まりです。
信武公は足利尊氏の姪を娶りましたが、鎌倉末期の動乱の中で、尊氏に従い奮戦し、幕府創立に大きな役割を果たしました。その功により、甲斐のほかに安芸国守護も兼ね、さらには九州探題などの要職を歴任しました。
信武公は和歌の達人としても有名で、作品は新千載和歌集や新拾遺和歌集に収められています。

参考:法泉寺公式ホームページ
法泉寺 武田信武の墓1 法泉寺 武田信武の墓2
法泉寺 武田信武の墓3 法泉寺 武田信武の墓4

勝頼公は言わずと知れた、信玄公の子息。甲斐武田家第20代当主です。

武田勝頼の墓、というと山梨県内では景徳院も有名です。
その辺りが複雑(?)なので、調べてみました。

勝頼自害の地に、織田信長亡き後甲斐を支配した徳川家康が供養のために開基したのが景徳院ですが、菩提寺ではありません。
天目山の戦いで自刃し、京でさらし首となっていた勝頼の首級(歯髪とも)を持ち帰り弔ったのが法泉寺の当時のご住職で、徳川家康が甲斐支配を始める際に協力したことで勝頼公菩提寺としての地位を保障されたのだそうです。

参考:法泉寺公式ホームページ参考:景徳院Wikipedia
法泉寺 武田勝頼の墓1 法泉寺 武田勝頼の墓2
法泉寺 武田勝頼の墓3
法泉寺 武田勝頼の墓4  法泉寺 武田勝頼の墓5
法泉寺 武田勝頼の墓6

このように寺院訪問をしていると、さまざまな史跡に出会います。

お寺巡りというと渋いと思われるかもせれませんが、皆様の近くにも貴重な史跡があるかもしれないので、ちょっと近所の散策をしてみてはいかがですか?
新たな発見、出会いがあるかもしれないですね。
ではでは、今回はこの辺で。

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